SARI 8421 ART WORKS Painting


SARI8421-Painting For Me

Ballpoint Pen Painting

SARI8421-Painting For Me

【絵を描くということ】絵を描く=会話
Painting For Me, Painting is like having a Conversation

僕は、人や絵、音楽、文字などに色や映像が見える。
見えるだけでなく、例えば、絵から曲が聴こえたり、音から痛みを感じたりする。
いわゆる『共感覚』を持っている。

僕は絵を独学で描いているが、絵を『描く』というよりは絵と『会話』をしているというほうが正しい。
紙やペン、色たちと会話をしているといつ間にか絵が出来上がっていく。

構図やテーマは毎回色たちと話し合って決めている。そして絵は下書きなしの一発描きで進めていく。
下書きをしないのは構図が紙面に薄く浮き上がって見えるということもあるのだが、色たちと何日も同じテーマの話をしているうちに、ときどき会話が脱線したり、追加の話があったりする為、構図通りにはいかなくなるからだ。

会話の内容としては、色達が「もうちょっと左が良い」「青はもう少し濃い(薄い)のが良い」「その色と隣にしないで怖い」と、僕に言ってくる。
色たちが喧嘩しないよう、怖がらないよう、こちらが配慮しながら絵が進んでいくこともあるし、色たちが話しかけてくる言葉を”ぼーっ”としながら聞いていて、気がついたら絵が出来あがっていることもある。
”ぼーっ”とするのは、数人(いろいろな色や紙、ペン)がそれぞれ一方的に違う話をしてくるので、頭の中がそれぞれの言葉や話しながら見せてくる景色でごちゃごちゃになり頭痛や目眩がしてくるからだ。

また、僕は記憶や感情の整理がどうにも苦手なようで、過去の出来事を頻繁に反芻する。
そういう時は、僕が一方的に紙や色たちに感情をぶつけることで、その吐け口となってくれる。

その他、絵と話していると昔の自分に出会う事もある。その時は、昔の自分と何時間も話しをしていて、よく分からないまま気がついたら絵が進んでいたりすることもある。

僕は小さい頃から【青の洞窟(精神世界)】という場所に頻繁に行っている。
そこの壁には絵が貼ってあり、それらの絵を今少しずつ現実の絵として表に出している。
壁に貼ってある絵を描く時は同時に幼少期の自分と会い、記憶の回想をしていく。
そして絵が出来上がると絡まっている紐が一本するりと解けていくように、荒れ狂っていた一つの時間が僕の中にスーッと溶け込み、ピントが合っていく。

『周りの人たちも、僕が音や物に見える景色と同じものが見えている』と思い込んでいたけれど、大人になって人それぞれ違うという事を知った。
それがきっかけで僕が普段観ている景色を人と共有してみたいと、”自分”から”外”へと意識を向けた絵も描くようになった。

また、描く事で自分と似たような感覚の仲間を探す手段にもなり僕を助けてくれている。
僕は小さい頃から家にも学校にも居場所がなく、毎日消えたくて仕方なかった。
そんな僕を支えていたのは絵だった。

泣いて良い場所。
笑わなくて良い場所。
人に当たらずに済む場所。
大声出して良い場所。
僕にとって唯一息ができる場所。
僕は居場所を知られたくなくて、壊されたくなくて、絵を描いては捨てる事を繰り返していた。

けれどもう捨てたくない。

僕にとって絵たちは、友達で、自分自身で、僕と周りを繋いでくれる通訳で、専属のカウンセラーで、居場所で、僕の大切な子供たちだ。

僕を癒やしてくれた絵たちが今度は誰かの心の癒しになりますように。...